駱駝の時代
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駱駝の時代
僕は毎朝6時45分に起きる。僕の自宅マンションの目の前には運河があります。
東京湾へは歩いて5分。 その運河の両脇には遊歩道があり、
毎朝、その遊歩道で朝のウォーミングアップをするのが日課なんです。しかし、雨の日はやらない、と言うか、したくてもできない。 晴れた日に、日の光をいっぱいに浴びて、柔軟体操をしながら、体の細胞のひとつひとつを、40分~1時間位かけて丁寧に刺激していくと、今更ながら、全ての細胞は脳につながっていることに気付くんです。
細胞を刺激する事で、脳が刺激されてバッチリと目が覚めるんですよ。
そして、 そのあとゆっくりとシャワーを浴び、心と体をしっかりと整えて一日の始まりとすると、比較的、良い一日となりやすいようです。
そしてそれは、約1時間後に始まるであろう、あるバトルの為でもあるわけで・・・
そして出勤、となるんですが、この日は築地で魚を仕入れるので、うちの老兵の出番だ。老兵とは、僕の 《ジオ》 と言う50ccのスクーターで、老兵と言うか、人間じゃあないので老兵器でしょうか。
この4年間、1年の半分以上は築地に通っていて、築地に行く時だけの、言わば運搬車として活躍している。
50ccのスクーターにしては寿命がながく、人間に例えれば、推定95歳の老人。
なんと、メーターが一回転してしまって、このまま行けば、あと数ヶ月で2回転してしまいそうなんですよ。
僕の仕事は、道具と言うものは、心から愛さなければならない、とウルサク言われてきた職業なんです。 だから、我々の為に、ここまで走ってくれて、よく働いてくれたのだから、最後まで大切に付き合ってやろうと僕は決めた。
数ヶ月前、この老兵を盗もうとした、心無い人にやられたのか、フロントの部分を壊されてしまったんです。 幸い、盗まれはしなかった。そして、ガムテープで応急処置をした傷が痛々しいこの老兵にまたがって、この日も出発だ。
当然、、セルモーターはだいぶ前に回らなくなっている。キックでエンジンをかけなければならないわけです。 機嫌のいい時は一発でかかるんですけど、機嫌の悪い時、特に寒い日などは、10回以上キックしなければならないんですよ。 顔を真っ赤にして、やっとかかったエンジンも、アクセルを少し吹かすと止まっっちゃったりして。
「このヤロー! ちょーしに乗りやがって!」 などと言って、シートを引っ叩いたりして、 まあ、 動いてないから調子にも乗ってはいないと思うんですけどね・・・。
やっと走り出しても、マフラーのどこかにガタがきているのか、音がやたらとでかい。
高校生がわざとイタズラして、うるさい音を立てているような音がするので恥ずかしくって。 近くを歩いている人には、「スイマセン このバカがうるさくって」 という心境でして・・・。
そして、マンションの駐車場から方向指示をだして 《海岸道り》 へ出る。
ウィンカーもかろうじてウィンクしているが、それは老人のまばたきのように、ゆっくりと点滅している。海岸道りを浜松町を左に見て汐留方面に向かい、最近は、あまり活気のない築地市場へ入る。
新鮮な魚を物色して、大体10キロ以上をうちの老兵に乗せてお店まで向かうわけです。築地市場を出て、汐留の日テレの前を通過して、新橋の大きな交差点で信号待ちしている。
すると、バックミラーに黄色と黒の動くものが見えた。
「来やがったな!」 と思った。
メッセンジャーだ。 自転車便ですよ。 うちの老兵の天敵だ。 メッセンジャーは僕の左脇を通過して、同じように信号を待っている。 黄色と黒のウェットスーツのようなユニフォームが “メッセンジャー焼け“ した浅黒い肌にやけに似合っている。
いつものように、肩にはトランシーバーらしきものから、雑音が聞えていて、背中には黄色と黒のバッグ、赤で会社の名前。
そしてあの、ラグビーボールを半分に割って切れ目を入れたようなヘルメットは必要なのか? といつも思う。
とにかくメッセンジャーは速い。 速くなるためにメッセンジャーをやっているのか、 メッセンジャーだから速いのかはわかりませんが。 スクーターに乗っている友達によると、信号無視をバンバンやるから、という説もあるが、とにかく、彼らには何度も屈辱を味わわされてきた。
うちの老兵、こう見えても2・3年前はバイク便と競っていたんです。
スピード違反で捕まったことも、今となっては誇らしい。
しかし、最近は、コンビニの袋をさげたおばちゃんスクーターにもうっちゃられている。
もうじき、ママチャリにパッシングされるかも知れない。
勝負?! いや、別に勝負ではないんですけどね、これから走ろうとしている時に、誰かが隣に来れば、 「俺はねー、マケナイんだよ、お前なんかニャー!」 っていう感じになるじゃあないですか、人間の本能ってやつですよ。
今日のメッセンジャーは何処まで行くのか? 別れる場所がゴール地点だ。
ポールポジションを獲ったアイルトン・セナが、宿敵、アラン・プロストを迎える心境と似ている。 と思った。
少し違うのは、相手のメッセンジャーは何も知らない・・・・。
予想として、ヤローは汐留の何らかのオフィスから、霞ヶ関の官庁、あるいは省庁、に届け物か、六本木ヒルズと言う可能性が高い。 ふと見ると、今日のヤローの太ももの筋肉はボブサップのように隆々としている。 今までのバトルから見るとこのタイプは坂道に強い、もし六本木ヒルズまでだとしたら “溜池~六本木間” の坂道は楽々登るに違いない、と思った。
僕は、一分の隙もないレース展開を、頭に叩き込んだ。
信号が青になった。当然のことながらヤローは自転車のため加速はない。
新橋の駅のガードをくぐって内幸町の赤信号の交差点で止まった。
バックミラーを見る。 もうすでに、ヤローの存在はバックミラーの半分を制していた。
「はッ 速い!・・・・」
人生のピンチに、いつも、つい、つぶやいてしまう口癖が出る。
「・・・フフッ・・・・ 笑わせるゼ・・・・・」
やがて 溜池の交差点を左に曲がって六本木までのダラダラとした坂道だ。
この坂道が問題だ。 つい2・3日前、この坂道を上っていると、晴れているのに、バックミラーに霧が写っている。 何かと思いきや、なんと、うちの老兵が、松田優作のべスパのように煙を (モック モック) と吐き出していた。
普通に走っていても普通じゃないのに、10キロ以上の荷物を積んでいるのだから無理もないのだ。 気が付くと、近くを歩いていた年輩の女性が非難していた。
坂道の途中の赤信号で止まった。 ヤローは僕の左脇を通過しようとした、そのとき ぼくのことをチラっと見た、あの目・・・、 そおー、 それは、バラエティー番組でデヴィ夫人が出川哲郎を見る、あの目だ!
そして、得意の信号無視!
『やーーりやがったな!』
僕の右のこめかみから音が聞こえた。 『ぶッッッちッ!!』
そのとき、僕の守護霊は、アイルトン・セナに代わった。
青信号と共に老兵は飛び出し、 《六本木通り》 をぶっ飛ばした。
そして、怒りのゴボウぬきだ。 (自転車一台)
ヤローは、怒りに震えたぼくの両肩を見て怖気づいたのか左折していった。
しかし実際は、スピードの出しすぎで、ハンドルがぶるぶる震えていたのだが・・・
『フー・・・勝ったー・・・!』 お店に着いたぼくは、今日のバトルに満足していた。
こんなとき僕は、最近パッケージが変わったマイルドセブンに、昨夜、ローソンで買った105円のライターで火を付ける。そしてその後、ひと仕事を終えた男の爽快感と、勝利の優越感にひたりながら、魚を店の中に運ぶのだった。
この老兵との別れも、そう遠い事ではないと思っていた。
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